お気持ちの書きなぐり 娘の初登園。

もう大人なんだからこういうのやめようよ、みたいな自制心がなぜか働いていて、往時の私を知っている方からすると「だいぶSNS更新しなくなったね」って感じなのですが、日常の些細なことはTwitterに、ちょっとした思い出などは写真が消えた時のためにと思ってInstagramに残しています。

黒歴史量産アカウントから作り直したアカウントでは、あまり自分自身の気持ちを書きなぐるみたいなことはしてきませんでした。

小さい子供と一緒にいる時間には自分の頭の中と集中して向き合うことができなかったからそうなっていただけなんだと、初登園した娘がいない自宅のリビングで気が付きました。

こういう時間がなかったから、自己嫌悪で忙しくなることもなく穏やかな気分で数年過ごせたのかな?とも思うとなんだか怖いですが、文字数の制限もなければだれかにやいやい言われることもないこのブログはこれからもお気持ちを書きなぐる場所として心の片隅に置いとこうと思います。

 

今朝、娘を始めて保育園に連れて行きました。

いつも行く児童館が保育園に併設されていることから、先月から繰り返し「みーちゃんはこれからほいくえんいくんだよ。保育園にはママはいないけど、先生とお友達といっぱい遊ぼうね」という感じで説明しても、「保育園=児童センター」みたいな認識っぽくて、今朝も「ほいくえん!ほいくえん!」と自作の歌を口ずさみながらご機嫌で車に乗り込みました。

保育園は自宅から車で五分ほどの位置にあり、先生に挨拶を済ませ、提出書類等を渡すと、先生は一瞬不安そうにした娘に優しく声をかけて素早く抱っこしてくれ、「お母さんはもう行ってください」みたいな雰囲気に。

あんまりダラダラその場にいても娘の寂しさは増幅するだけなので当然私はさっさとその場を立ち去ります。

立ち去るはずなんですが、首はずっと先生に抱えられて気を紛らわすためになんか見せてもらっている娘の方から回ろうとしません。

もうガン見。ほんと寂しい。ほんで娘さんは全然こっち見んやん。

平時でもおぼついてない足元にサンダル履きなんかできたうえ、首がもう娘の方にロックされて回らない状況で少しだけ残ってる大人としての理性が足を速く歩かせるので、当然園から車の方に向かう階段を全部滑り落ちて太ももにでかい傷を作りました。

茫然自失の状態なので痛みを痛みと認識するまで1時間かかっています。今痛い。

平時でも特に冴えることのない頭がさらにぼうっとしたまんま車を運転し(極めて危険)なんとか家に着きましたが、いいようのない喪失感に取りつかれて、そこから車を降りるのに10分かかりました。

昨夜寝る前や今朝起きたときなんかは「送っていったら久々の朝寝なんかしちゃったりしちゃお☆」などと思っていましたが、そんな気も起きず、呆然とした頭の中で「娘が頑張って保育園に行ったのに私がダラダラするのは間違っているよ」と唯一まともな感性のだれかが言う。だから必要以上に家をきれいにしとこうみたいな決心をしてるはずなのに、帰宅から一時間、私が成し遂げたといえることは、とりあえずPCを起動して先月分の記事を校了し、この誰も読まないし誰かが読んだとしてもその人の時間を奪う以外の効果がない文章をダラダラと打ち込んでいるだけ。これの終わりも正直見えない。あ、洗濯機は回した。でも干さなきゃなににもならない。

 

こういう場面が、これから幾度もあるんだろうな。

あれほどほしかった一人の時間なのに、こうも茫然自失になるとは、つくづく自分の中身のなさが嫌になります。

でも、娘にならし保育が必要なように、私にもならし孤独が必要なんだ。

ずっと一人だったじゃないか。そしてそれはすごく楽しかったでしょうが。

よし、頑張って掃除して、お昼に娘を迎えに行ったらそのあとはなーんにもせず娘とべったりできるように準備しよう。

やることを順番にリストアップして一個ずつこなそう。頑張ろう。