自己満足とは

 

今朝は前日早寝した娘が4:30に起床したのでバスガイド時代以来の暗い時間に起きて1日がスタートしました。

午前中に大体のことを済ませて、休日の夫も珍しく早起きしたので娘とたくさん遊んだ1日でした。

夕方からは産後ひどくなった偏頭痛に苦しみましたが、薬を飲んでのびている間に夫が洗濯物や食器の洗い物片付けを済ませてくれたのでこうしてブログを書くことができて感謝の気持ちです。

今日は居間もぐちゃぐちゃでできてないことが多かったけれど、娘の気が済むまでいっぱい遊んであげられたな、と満足した気持ちで1日を終えられそうです。早起きの賜物だと思います。

 

このブログでも、インスタグラムでも、私はちゃんとしなきゃとか頑張らなきゃ、というような言葉を多用していますが、それはどの基準からみた「ちゃんと」「頑張る」なのだろうとふと思いました。

出産後、何かにつけて人と比べては無理に背伸びをしてきたように感じました。元々私はかなりだらしないし、頑張ることも継続することも苦手な方で、特にこれといった取り柄もないのに「みんな」の真似を必死でやって「良い母」であろうと気持ちだけがやたらと焦っていたのではないかな。私は私のまんま何も変わっていないのに。

その分他人に求めるものも多くなって、特に何も返せていないのにな、と。

なんか病んでるみたいな文章になってきたな。でも違います。

今日のように、自分自身で良い1日だったな、と思って終われる1日を積み重ねて生きていければそれで十分なのではないかと思いました。

もちろん、常識や良識からあまりにも逸脱した状態を自分自身の満足に無理やり当て嵌めて他を蔑ろにするようなことはあってはならないと思っていますが。あと家はきれいに保つ方が自分の精神衛生上も良いと気づいたのでごっちゃごちゃの台所も今すぐ綺麗にした方がいい。

 

世の中ではあまりいい言葉として使用されない、自己満足。

しかしこれは非常にコスパの良い自分自身のご機嫌操縦アイテムだとさっき気づき、急いで書き留めている次第です。

この家族で、この私で、これから長い時間を過ごしていくのだから、もっと続けやすい方法を考える方が得なはずです。

昔は、私は私から逃げることはできない、他人はいいなぁ私から逃げることができて、なんて卑屈なことを思っていましたが、ちょっと見方を、というか見る角度を変えてみたら、この私でいるしかないんだから、私自身の満足にもっとコミットした感覚でいていいのではないかなと少し思えました。だっていきなりスーパーマンにはなれない。

娘の喜びを第一に考えることができる自分をもっと信じて、誰かに見せる前提のパフォーマンス的な育児にならないように楽に楽しくやっていきましょうよとイマジナリー神様も言っている(ということにしよう)。

そうすることで、娘の幸せ、ひいては家族の幸せに繋がるのならば、とても簡単なことです。

誰かと比べて背伸びして、結果を出せない自分にイライラして人に当たる、この悪循環から抜け出す糸口を掴めたような気持ちです。

 

いつもながら自分語りの長い記事になり、読まれた方はかなり退屈する内容となりましたが、備忘録として。