ご機嫌の操縦

 

季節はあっという間に流れてもう晩秋の気配さえ漂ってきました。

2020年も残すところあと2ヶ月と少し。

今年は世界中がこれまでとは違う1年を終えようとしていますね。

残念なニュースが日々舞い込み、気持ちが引きずられて眠れなくなる夜もありました。

今日飛び込んできた赤い公園津野米咲さんの訃報。

上京したての頃、公園デビューというアルバムをずっとずっと聞いていて、ひとりで電車に乗ることや雑踏を歩くことさえ不安でたまらなかった絵に描いたような田舎者の私が背筋を少しだけ伸ばせた軽やかで飄々とした音楽の数々を思ったけれど、こんな気持ちすら上手く言葉にすることも出来ず澱になって心の下の方に垂れていくようです。

そしていつか忘れる。

 

こんなことが、大人になってから沢山あるような気がします。

最近までずっと自分の機嫌に振り回されてきて、人に迷惑をかけまくってきたことを恥じてもうそうならないようにしよう、自分の機嫌くらい絶対に自分で取れるようにしようと固く決意したけれど、結局は怒りや悲しみをただ諦めてやり過ごしてるだけで実際は全然自分の機嫌の操縦なんて出来ていないように思います。

 

でも何が正解なのかわからないな、

いちいち些細な感情の機微に向き合うことが本当に正しいのか。些細だ、と切って捨ててしまえるような感情になどいちいち向き合ってなんかいられないんじゃないかそんなことをする暇があるなら、傍にくっついて離れない可愛い娘を見てあげなさいよ。

と思う反面、

些細であると決めつけて考えることを放棄することを続けてきたことによって、もともと大して明晰でも無い脳がさらに鈍くなってしまったのでは?

選択を迫られるほど動いた心を押し込めることはそれこそ怠惰であり、そんなことでご機嫌の操縦ができた気になっているのは甚だ傲慢ではないか。とも思います。

 

以前友人に、媒体は何でもいいからアウトプットした方がいいと言ってもらって、誰も見ない場所に書き残して中途半端な形でも日々自分の身に起きた出来事や脳裏に過った言葉を文章にしておこうと思ったけど、自分で上手い文章だと思えないとイライラして全消し→忘れる、の無限ループを繰り返しています。

 

ただ、1つ、母になって変わったことはやりたくないことの先延ばしをやめたことです。(※当社比)

家事なんか大嫌いで整理整頓が大の苦手な私ですが、終わったら○○という小さいご褒美を自分で用意することでとっとと取り掛かって、一日の全ての家事を終えてから就寝することが出来るようになりました。

そしてそんな自分を褒める。

これはご機嫌の上手い操縦の1つだと喜ばしく思っています。

 

毎日を面白おかしく、愉快に暮らしていくためにどうしたらいいのか日々模索していきたいものです。